オーストラリアに戦争慰霊碑

旧日本軍の潜水艦の慰霊碑

 

 

 『【ダーウィン(オーストラリア北部)時事】オーストラリア北部ダーウィンで、太平洋戦争の開戦直後に旧日本軍の潜水艦「伊号第124」が沈没して80年余りが過ぎた。

 

  ダーウィンでは18日、乗員80人全員の名前を刻んだ慰霊碑の除幕式が催された。

 

 伊号第124は開戦から間もない1942年1月、連合国側の重要拠点と見なすダーウィンの沖合を機雷敷設や哨戒のために航行中、豪軍の爆雷などの攻撃を受けて沈没。乗員全員が戦死した。

 

 船体は引き揚げられず、遺骨は今も水深50メートルの海底に眠る。

 

 沈没の翌2月には日本がダーウィンなどへの空爆を開始し、豪州側に260人以上の死者が出た。  

 

 日豪の関係緊密化と相互理解の促進を受け、2017年に沈没海域を望む海岸沿いに最初の慰霊碑を建立。

 

 今回はその隣に、乗員全員の名前と階級、北海道や宮城、静岡、長野、石川、愛知など出身地が書かれた新たな慰霊碑が、日豪の協力で設置された。

 

 除幕式には地元政府幹部を含め約100人が参加した。献花した山上信吾駐豪大使は「日本と豪州が築き上げた和解や平和の足跡を振り返る大きな機会だ」と強調。

 

 地元北部準州のガナー首席大臣も「われわれを分断していた全てのことは、真の友情に置き換わった」と訴えた。 ダーウィンでは19日、空爆開始から丸80年を迎えて追悼式が開かれる.』

 

 太平洋戦争オーストラリア空爆が始まって丸80年。

 

  あまり知られていないけど、日本軍はオーストラリア本土を空爆している。 オーストラリア人は自分達の本土を攻撃された恐怖で、戦後直後は日本に対して恨みを持っていた人も多かったという。

 

 現在でこそアジアに目を向けるようになってきたオーストラリアだが、当時はイギリスをはじめとしたヨーロッパに目を向けた白豪主義を取っており、有色人種に対する目も今以上に厳しかった。

 

  日本がオーストラリアと戦ったという事を知らない人もいるかもしれないが、日本軍は1年半以上オーストラリア北部を攻撃している。

 

 その関係で潜水艦なども作戦に加わっていたわけだが、伊号第124オーストラリアから攻撃を受けて沈没されたというわけ。

 

  いまだに戦後補償謝罪問題を繰り返し、戦後補償金を表裏で受け取っておきながら慰安婦を設置したりして問題を大きくするうんざりな国もあるが、このように将来に目を見据えた交流ニュースは嬉しいね。

 

  80年経って日本とオーストラリアの関係は大きく改善された。経済面でもそうだが、オーストラリアの学生日本語を学ぶ機会も多くなっている。

 

 言葉を学ぶという事は相手の文化や習慣を学ぶことにもつながる。

 

  2017年に沈没海域を望む海岸沿いに最初の慰霊碑を建立したのに続き、今回、乗員全員の名前と階級、北海道や宮城、静岡、長野、石川、愛知など出身地が書かれた新たな慰霊碑が、日豪の協力で設置された。

 

  かつては自分達を恐怖に陥れた敵国の軍人の慰霊碑を建立するというのは、地元の人の理解が大きい。 ただ、2017年の慰霊碑建立でも戦後75年も経っている。

 

 それだけ、戦争後遺症は精神的に後々まで負の影響を与えるということでもある。戦争をしてはいけないのはここにも教訓となるだろう。

 

  この慰霊碑平和維持に役立ってくれることを望むよ。