リビアの死者数から見る情報の重要性
『北アフリカのリビア東部で発生した洪水で、同国の国連大使は14日までに約6000人の死亡が確認され、数千人が行方不明だと述べた。一体なにが起きたのか。BBCのジョエル・ガンター記者が被災者に話を聞いた。
被害の規模をめぐっては、さまざまな見方が出ている。リビアの赤新月社(イスラム圏の赤十字社)関係者は、死者は約1万人に上るとし、被害が特に大きかったデルナの市長は2万人が死亡した可能性があるとしている。
これほどの大惨事となった洪水の発端は、10日からの大雨だった。
デルナで暮らす会計士フサム・アブデルガウィさん(31)は11日午前2時半ごろ、犬がほえる声で何かがおかしいと感じた。 外は真っ暗だった。
寝床を出て、寝ぼけ眼で下の階に様子を見に行くと、足下に水を感じた。 玄関を開けると、水がどっと流れ込み、ドアが外れた。同居している弟イブラヒムさん(28)と裏口に急いだ。そこで目にしたのは、「無惨な、想像を絶する光景だった。死そのものよりひどかった」。
現在はアル=クバ市にいるフサムさんは、電話取材でそう話した。 「女性や子どもの死体が、目の前を流れていった。車や家全体が流されていた。死体が、私たちの家の中にも流れ込んできた」 フサムさんとイブラヒムさんも流された。
水は想像以上に速かった。数秒のうちに兄弟は150メートル近く引き離された。 イブラヒムさんは、電柱にまだつながった状態の電線に、どうにかにつかまった。
何かに引っかかって動けなくなっていたフサムさんへそのまま近づくと、兄弟は電線をロープのように使い、近くの5階建てビルの中に3階の窓から入った。屋上に上がり、洪水が過ぎるのを待った。
「私たちがいた地域は、街の中でも比較的高いところだった」とフサムさんは話した。「低いところでは、5階や6階にいても、誰も生き残れなかったのではないか。神がその人たちに慈悲を与えてくださいますように」。
洪水はデルナ郊外の二つのダムの決壊が引き金となった。ダムの水は激流となって市の中心部に流れ込んだ。 同市の学生ラフマ・ベン・ハイヤールさん(18)は、「デルナは水で二つに分断され、その間にあったものは全部なくなった」と話した。
彼女は屋上に避難して無事だった。「中間にいた人たちはみんな死んだ」。 激流が街を襲った前日の10日は小雨だった。
デルナで生まれ育った医学生アムナ・アル・アミーン・アブサイスさん(23)は、最初は特に怖いと思っていなかった。自宅は海岸沿いの7階建てビル「ビーチ・タワーズ」の1階。両親を病気で亡くし、3人の弟妹は彼女が面倒をみている。
雨粒の音が外で響く中、弟妹3人と一緒にゲームをするなどしていた。みんなで弟に救命胴衣を着せ、笑っていた。 しかし夜が更けるにつれ、雨は激しさを増した。サイレンの音が聞こえた。
みんな眠れなかった。 「本格的に始まったのは午前2時30分ごろだった」。アムナさんは近くの街トブルクから、電話取材で話した。「外の音はさらに大きくなっていった。弟は、水が通りを覆っているのが見えると言った」。
水かさが増すにつれて、隣人たちは上の階に避難し始めた。アムナさんは猫とパスポート4冊をつかむと、全員で3階の部屋へと移動した。
しかし水は3階にも上がってきた。「みんな叫び始めた。私たちは5階に移動し、最後は7階まで上がった」。 パニック状態だった。「猫を失った。弟も一瞬見失ったが、見つけた。7階でもだめで、屋上に行かなくてはならないと気付いた」。
屋上に上がると、向かいの3階建てビルの屋上に人々がいるのが見えた。友人家族もいた。みんな携帯電話をたいまつのように振っていた。直後、そのビルが崩壊。暗がりの中、水に飲み込まれた。 アムナさんは、「地震のような感じだった」、「友人家族はまだ見つかっていない。家族の息子が探している。彼には、目の前でビルが崩れたのを見たと伝えた」と話した。
アムナさんの親族も何人か行方不明になっている。おじとその妻、3人の息子たちが住んでいた近くのビルは倒壊した。「最後に電話したのは午後9時ごろだった。おじは私たちの無事を確認するため電話をくれた」、「それ以来、連絡はない」。
アムナさんは洪水が引いた後、弟妹3人全員とビルを脱出できた。家の前の通りは完全になくなっていた。「地球が割れたみたいだった」、「通りがあった場所には空洞だけが残っていた」。 知り合いの女性も目の前で水に飲み込まれた。
女性の夫と息子は、彼女を救うことができなかった。親友のアイシャさんも助からなかったと聞いた。 この大惨事の死者数は大幅に増えそうだ。前出のフサムさんは、友人が少なくとも30人、知人は200人以上死んだとし、こう言った。
「私が生き残ったのは奇跡だ」。 デルナは壊滅的な被害を受けた。すべての地区が破壊された。
リビア西部の都市トリポリを本拠とする、国際的に承認された政府のムハンマド・アル・メンフィ大統領評議会議長は、司法長官に捜査を求めたと述べた。
ダム崩壊で過失がある人物の責任を問うとしている。
世界気象機関(WMO)のペッテリ・ターラス事務局長は、リビアの気象当局が機能していれば、死者の大半は助かった可能性があるとした。気象当局が警報を出せていたら、当局が住民避難を実施できたはずだというのが理由だ。
多くの被災者が、愛する人々の消息判明を切実に待っている。死者を悼み、デルナの街を悼んでいる。 「もう元には戻れないと思う」とアムナさんは言った。「あの通りは私の人生のすべてだった。街の隅々まで知っていた。それがなくなってしまった」 取材協力:リアム・ダラティ記者』
北アフリカといえば、モロッコの地震が大々的に報道されている。
モロッコの観光地のマラケシュ近くが震源だったから、日本人のギークの旅行者にとっては関心事だった。
一方、リビアの大洪水。
実はモロッコの死者数の倍の方が亡くなっているのだ。
だけど、今回のリビアの大洪水は天災というより人災という側面が大きいようだ。
リビアは日本人にとって遠い国の1つ。
地理的には日本からモロッコの方が遠いが、リビアは政治的な要素も大きいのだ。
リビアはかつてリビア革命で独裁者となったカダフィ大佐がいた。
カダフィー大佐は、リビアの社会主義化を進め、国有化政策を推進した。 しかし、独裁者にありがちな人権侵害や政治的弾圧により内戦が起こり、カダフィー大佐は自殺した経緯がある。
そのカダフィ後に、リビアは2つの政府に分裂。東部と西部に分かれて独自に統治する状況が続いていた。政府のコントロールが効いていない。それがリビアだったのだ。
そんな状況だからこそ、わざわざリビアのVISAを取って観光しようという日本人はほとんどいなかった。日本のマスコミにリビアのニュースが取り上げられることもほとんどなかった。
今回の洪水被害はエジプトに近い東部のデルナだった。
それにしても5階に避難しても生き残れなかったとは・・・。
今回の洪水は2つのダムが崩壊したとか。 砂漠のイメージが強いリビアで洪水ニュースだから、ちょっと違和感を持っていたんだよね。
ダムが崩壊って相当なものだけど、恐らくダムそのものも老朽化していたんじゃないかな? きちんと政府が機能していなかったんだから。
それと言われているのが、気象当局が警報を出せていたらという情報の問題だ。
「世界気象機関(WMO)のペッテリ・ターラス事務局長は、リビアの気象当局が機能していれば、死者の大半は助かった可能性があるとした。気象当局が警報を出せていたら、当局が住民避難を実施できたはずだというのが理由だ。」と言われているように、早めに非難できていれば多くの人が助かったという理屈だ。
確かにいきなり洪水に巻き込まれて亡くなったというより、建物の最上階に避難していて建物が崩壊して亡くなったという人が証言で得られている。 そういう人達は早めに警報が出ていて、どこか高い地域に避難できていれば助かったかもしれない。
リビアのデルナの町の様子がはっきりわからないので何とも言えないが、危険情報が機能していれば死者数は減っていたに違いない。
ただ国で2つの政権が政権争いをしているリビアでは、インフラや国民の生活は2の次になるのだろう。先ずは、国を統一するということに注力するだろうからね。
デルナの街は洪水で街がなくなった部分も多いようだ。 もうデルナの街と言えないのかもしれないね。 そして、生き残った人達もそんなに全てを失っていては今後も死者が増える可能性も高い。
食料や生活用品などもないし、衛生状態も悪いだろう。
国連人道問題調整事務所(OCHA)は14日、洪水で直接被害を受けた地域に住む推定88万人のうち、25万人に緊急支援が必要だとも言っている。
この緊急支援は今後もっと増えるだろうけど、モロッコの地震などに対しても同様の緊急支援が必要だ。
こういう時には国同士の親密度が大きくものをいう。
お金や物を寄付したからと言って、国同士の関係に問題がある場合は、その支援が被災者に届かない可能性は高い。
物流が滞るような問題だけでなく、お金にしても物にしても途中で横領して私腹を肥やす連中が出てくるからだ。
実際にそういう悲惨なニュースに便乗する連中もいるのだ。 寄付するなら信頼できる組織に寄付をしよう。 経済が悪い中で稼いだお金をドブに捨てないように注意が必要だ。
リビアの建物は泥やレンガなどが主原料というのも被害が大きくなった原因かもしれない。 ダムが崩壊して洪水など予想もしていなかっただろうから、仕方がない面もあるけどね。
これ以上、リビアで被災者が亡くならないように祈るしかない。